「結婚しよう」
照れたようなはにかんだ笑顔で、私の記入欄だけが空いた婚姻届けを差し出されました。
一般的な感覚で読めばこれはおそらくラブストーリーのハッピーエンド。
しかし現実はそんなロマンチックなものじゃありません。
婚姻届けを渡してきたのは…
<風俗街のイメージ画像>
場所は賑わう歓楽街のソープランドの一室。
ソープ嬢の私の前で、はにかみながら婚姻届けを手に持っているのは腰にバスタオルを巻いたひとりの客。
- 50代消防士
- 「加藤さん」
- 既婚子供2人
- M
当時の私の接客ノートに書いてあった彼についての記録はこれがすべてです。
ちなみにMというのは性癖的なものじゃなくゴムのサイズです。
接客ノートにたった4行、しかもうち1行は下半身のサイズ感を記されているだけの男性が婚姻届けにサインしろと私の目の前で嬉しそうにしているこの状況。
夢なら早く覚めてくれ。
あなたの苗字も知らないの
<バスルームっぽいイメージ写真>
プレイ直後の急展開にバスタオル一枚の姿で声も出せずにいた私が彼に見えないよう太ももの裏をつねったところでこの目を覆うばかりの状況は変わらず、残念ながら現実のよう。
でもほら、頭を整理すればなんてことはない、だって相手は既婚者だから。
「今日ってエイプリルフールだっけ~加藤さんったら~(笑)」
なんてちょっと冗談めかしてこたえようと思ったら次の瞬間彼の口から驚きの言葉が飛び出しました。
「俺、ユメの気持ちにこたえたくて、離婚してきたから、早くサインを」
えーと、ユメとは私の源氏名ですが…は?
差し出された婚姻届けを眺めていたら彼の名字が「岡田(仮名)」で全然加藤じゃなかったことに気づいた衝撃なんて、この言葉の前じゃゴミのようなものです。
気持ちにこたえたくて、などという言葉を聞いたら多くの人は私が彼にガチ恋して結婚を迫ったように感じるかもしれません。でも信じてください、違うんです。
だって私にとって彼の情報は53歳消防士で名前は加藤で子供が2人いる既婚者で下半身はMサイズってことだけなんです。
しかも加藤は偽名で本当は岡田でした。
80万円を貢いだ風俗客の最後
<男女が手を繋いでいるイメージなど本文とちょっとつながりがある感じの画像>
そりゃあ、エリア内では高級店を謳う店にもかかわらず頑張って通ってくれるものだから、「これってけっこう引っ張れるんじゃねw」とノリで色恋はかけましたよ?
彼が私指名で店に通うようになって2か月弱、使ったお金は総額80万円以上。
うち約60万円は私の報酬となったため、いわゆる「太客」だったのです。
でも、色恋と言ったって
「加藤さんとの時間ってすごく楽しい、もっと長く過ごせたら幸せなのに」
「帰ってほしくないなあ、もっと一緒にいて?」
とか、(記憶にはないけど多分)そんなようなことを言った…それだけの話です。
ただそれだけで、長年連れ添ったのであろう妻に離婚届を突き付け2人の子供も顧みずソープ嬢に婚姻届けへのサインを迫る中年男性。
こういう時、どんな顔をすればいいか分からないの。
あの名言が頭をよぎった私は吹き出しそうになるのをこらえつつ、笑顔で彼に言いました。
「ありがとう、嬉しい!家で印鑑押してもってくるから、一回持って帰っていいかな?」
浮足立って帰る彼を見送りつつ店長に「今の客NGね」と伝え、私はまた淡々と次のお客様を迎えるのでした。
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